長野上水内教育会

教育会役員リレーエッセイ㉕「不適切にもほどがある!」

2025.01.23 WEB更新更新情報

今回の担当、徳間小学校の長井裕之です。

今までの諸先生方の記事をとても楽しく興味深く拝読させていただきながら、どんなテーマにしようかな…とずっと悩んでおりました。しかもこのところ、中身の濃い記事が続いていましたので、その悩みはより深いものになっていました。

そんな中ですが、令和6年の流行語大賞が「ふてほど」に決まったとのニュースがありました。ドラマ「不適切にもほどがある!」をご覧になっていた方もきっといらっしゃるのではないでしょうか。私も、そういえばそんなこともあったな…などと懐かしく思いながらも、現代の世相をチクリと刺すような部分もあり、興味深く見ていました。また、年末で自宅の掃除をしていると、私がまだ若かりし平成の初めに、小3~6年まで4年間担任させていただいたクラス(単級だったのでクラス替えもなし!)の卒業文集が出てきました。

そこで、当時(30年ほど前)にタイムスリップし、その文集に綴られていた子どもたちの目から見た、平成初期の小学校教員:長井の姿をいくつか拾ってみたいと思います。きっと、現在のコンプライアンス的に「不適切にもほどがある!」部分もあるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。(合わせて、中身の薄い長文であることもご容赦くださいませ…)

【Aさん】「3年生になり、新しく長井先生になった。左利きをとってもめずらしがって、すごいと尊敬した。あと、先生の大事なものをこわしてとっても泣いた。」

→尊敬されたのは「左利きが珍しかった」から、というのがいかにも笑えますね。

→「大事なものをこわして」そんなに泣かなくてもいいよ…というぐらい泣いていたAさん、卒業文集に書くほどのトラウマ?になっていたのかと思うと大変申し訳ないです。

【Bさん】「3年になったら先生が長井先生にかわりました。初めての男の先生だったから、ちょっと楽しみでした。(保育園から2年生まで全部女の先生だった。)」

→「ちょっと」楽しみ…期待感の薄さがうかがえます。ごめんなさいね。

【Cさん】「4年生になったら新しい先生にも慣れました。長井先生はぼくたちにいろいろな遊び道具を買ってくれたり、夏はサッカーをして遊んでくれたりしたおもしろい先生でした。」

→3年生から担任したのですが、慣れるまで1年間かかったとは。これも申し訳ない。

→「いろいろな遊び道具を買って」…寒さが厳しい地域だったので冬は外で遊べないということで。決してモノで釣ろうとしたわけではありません、ということにしてください。

【Dさん】「3年生の時、長井先生が担任になって、入学式そうそうサッカーなんてやってたりする。私はその時、おもしろそうで明るそうな先生!ラッキーかと思った。おもしろくて明るいのはあっていたけれど、もう一つありましたよ…それは、おこる時、すっごくこわいんです!」

→確かに入学式の日に、いきなり新しいクラスのみんなとサッカーをやった記憶があります。(当時はまだメタボ体型ではなかったので。)怒った時のことは…本当に4年間ごめんなさいね。

【Eさん】「4年生になって盲腸で入院していたときに、病院に長井先生が来て、みんなの作文を本みたいにして持ってきてくれて、とてもうれしかったりしました。それは、今でもとってあります。」

→そんなこともありました。心温まる作文を書いてくれたクラスのみんなに感謝です。30年たった今でも取っておいてくれていたら嬉しいのですが。

【Fさん】「キャンプで一番心に残っているのはお化け大会です。私は長井先生がおどかした時、びっくりして泣いてしまったけど、友達が『〇〇ちゃん大丈夫?』とか声をかけてくれたり、足がすくんでしゃがんでしまった時もゴールまで一緒に手をつないで引っ張ってくれたりしたことを覚えています。私は泣いたけど、友達の優しさがとてもうれしくて、友達を大切にしたいなぁと思ったとてもいいキャンプになりました。」

→当時、キャンプでは、夜のお化け大会(肝試し)で、いかに子どもたちを驚かすかに全力を注いでいました。それも、友達の大切さを実感してもらうため…という後付けの理由ができました(笑)

この時の子どもたちも今は40歳を過ぎ、結婚して子供は小学生だよ、〇〇で働いているよ、などと風の噂が聞こえてきます。卒業文集ということで、きっと担任に忖度して書かなかったことも山ほどあると思います。現在のコンプライアンス的には「不適切にもほどがあった」であろう指導の数々を申し訳なく思うとともに、そんな担任だったにもかかわらず、みなさんが立派な大人になってくれていることを心より祈っています。

…以上、私から子どもたちへの懺悔にお付き合いいただきありがとうございました!

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