川中島合戦伝承地 八幡原 一騎打ちの銅像
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戦国時代の「川中島」は、広い意味では現在の「北信地方」全体(高井・水内・更級・埴科の4郡)のことで、本来の「川中島の戦い」は戦国大名武田氏と上杉氏が信濃北部を巡って行った戦い全体を指す。しかし、これとは別に物語として語り継がれる「川中島合戦」の世界もある。戦国時代の終わりとともに、大名や家臣の「家の歴史」をまとめる動きが起こり、江戸時代には幕府からの指示もあって、戦国時代の戦の記録などがたくさん作られた。この作業には戦国時代の手紙などの実物が資料にされたので、そこから生まれた「軍記」などの記録も、全てが創作ではないが、事実と異なる部分もある。遅くとも江戸時代初め頃までにまとめられた武田家系の「甲陽軍鑑」という軍記では、川中島の合戦は5回起きたとされている(近年の研究では、もっと続いたと考えられている)。その4回目は両軍の知謀や武勇がしのぎを削った激戦とされ、武田信玄の陣所(じんしょ)に上杉謙信が単騎(たんき)で切り込んだエピソードの舞台とされるのが八幡原古戦場である。写真の銅像は、この物語を題材にしている。ちなみに、上杉家でまとめられた軍記では、一騎打ちは第4回合戦ではなく、しかも両者が川の中(長野市篠ノ井の御幣川)で馬上で斬り合ったとされている。伝承の系統によって物語にも違いがあって興味深い。
戦国時代の「川中島」は、広い意味では現在の「北信地方」全体(高井・水内・更級・埴科の4郡)のことで、本来の「川中島の戦い」は戦国大名武田氏と上杉氏が信濃北部を巡って行った戦い全体を指す。しかし、これとは別に物語として語り継がれる「川中島合戦」の世界もある。戦国時代の終わりとともに、大名や家臣の「家の歴史」をまとめる動きが起こり、江戸時代には幕府からの指示もあって、戦国時代の戦の記録などがたくさん作られた。この作業には戦国時代の手紙などの実物が資料にされたので、そこから生まれた「軍記」などの記録も、全てが創作ではないが、事実と異なる部分もある。遅くとも江戸時代初め頃までにまとめられた武田家系の「甲陽軍鑑」という軍記では、川中島の合戦は5回起きたとされている(近年の研究では、もっと続いたと考えられている)。その4回目は両軍の知謀や武勇がしのぎを削った激戦とされ、武田信玄の陣所(じんしょ)に上杉謙信が単騎(たんき)で切り込んだエピソードの舞台とされるのが八幡原古戦場である。写真の銅像は、この物語を題材にしている。ちなみに、上杉家でまとめられた軍記では、一騎打ちは第4回合戦ではなく、しかも両者が川の中(長野市篠ノ井の御幣川)で馬上で斬り合ったとされている。伝承の系統によって物語にも違いがあって興味深い。

- 分 類
- 文化財(史跡、旧宅・古跡)
- 地 域
- 更北
- 年 代
- 戦国時代
- 資料撮影年次
- 2008年(平成20年)















