川中島合戦伝承地 八幡原 「三太刀七太刀之跡」碑

明治13年にまとめられた「小島田村誌(おしまだそんし)」(長野県立歴史館蔵)には、八幡原にある八幡宮の境内が「三太刀七太刀(みたちななたち)」と呼ばれる「直戦の古跡」であると記されている。これは、上杉謙信が馬上から3回(三太刀/みたち)斬りつけたのだが、太刀を受け止めた武田信玄の軍配には7つの刀傷(七太刀/ななたち)があったとして、謙信の執念のすさまじさを物語るエピソードとして現在でも伝えられている。この石碑は、大正時代に地元の眼科医で漢学者でもあった井上雲桂が「三太刀七太刀」と呼ばれる場所(公園内の池の南西付近)に建てたもので、史跡公園の整備の際に現在の場所に移転したという。ところで、「八幡原の一騎打ち」の源流であるはずの「甲陽軍鑑」には、上杉謙信が去った後で太刀を受け止めた武田信玄の軍配を確認したら、「8つ」の刀傷が残っていたと記されている。ところが、江戸時代後期の善光寺参拝ガイドブックで、八幡原古戦場も詳しく解説している『善光寺道名所図会』を読んでみると「七太刀」も「八太刀」も書いていない。本稿掲載までの調査では、「八太刀」がいつ「七太刀」になったかは判明しなかったが、「物語がつくられ、受け継がれていく」面白さが感じられる。

川中島合戦伝承地 八幡原 「三太刀七太刀之跡」碑
出典/撮影 委員
分  類
文化財(史跡、旧宅・古跡)
地  域
更北
年  代
戦国時代
資料撮影年次
2024年(令和6年)
〔ID 1716〕