川中島合戦伝承地 境福寺 本堂と境内

更北地区の稲里に「境(さかい)」という地区があり、「境福寺」という寺院がある。「境」の地名は、この地が「氷鉋郷(ひがのごう)」と「斗女郷(とめのごう/今の川中島町御厨の戸部付近)」の境界だからだという。「境福寺」は弘治2(1556)年に開かれたと伝承されている。当時は川中島を巡って上杉氏と武田氏が争っていた(いわゆる川中島合戦)時期で、「境福寺」の名は武田信玄が名付けたものだと伝えられている。そのころ、まだ小さな庵(いおり)だったところに、戦いの最中の信玄が飲み水を求めて訪れ、「境福寺」の名を授けたというのが伝承されている物語である。このような伝承では、上杉・武田のどちらとの結びつきを大切にしているかがポイントで、この地では武田氏を尊重していることがわかる。一騎打ちの物語はともかくとして、川中島一帯には松代の貝津(かいづ/海津)城を拠点にする武田側の影響力が強かったことがうかがえる。伝承であっても、「物語の描かれ方」は歴史を考える手がかりの一つになる。

川中島合戦伝承地 境福寺 本堂と境内
出典/撮影 委員
分  類
文化財(史跡、寺社)
地  域
更北
年  代
戦国時代
資料撮影年次
2021年(令和3年)
〔ID 1723〕