川中島合戦伝承地 境福寺 古い姿が残る弁才天

更北地区の稲里にある「境福寺」には武田信玄の伝承が残る。この寺は江戸時代にも地域の人々に大切にされ、江戸時代の信仰を物語る石造物がたくさん残る。写真の石塔は文化6(1809)年に造立された「大乗妙典千部供養塔」で、塔に刻まれた地元の有力者(写真では見えない左面)が施主(スポンサー)となって人々の幸せを願う「大乗妙典(だいじょうみょうてん/普通は法華経を指す)」を千回読み上げてもらう供養をしたことを記念したものである。正面の仏尊が「願い」と関係するものだが、この塔では古いスタイルの「弁才天(べざいてん・べんざいてん/弁財天)」が刻まれている。江戸時代の「弁財天」は七福神像にみられるような、琵琶を持つ天女像が一般的だが、この塔の像は八臂(はっぴ/8本の腕)に剣、斧、絹索など武器を持った姿になっている。これはインドから伝わってきた頃の姿で、その名も「弁才天」とされ、戦う神の性格をもっていた。同時に、蛇のような姿の不思議な神である「宇賀神(うがじん)」が強調されている。まず、女神の頭上にある小さな鳥居の上に人の顔が刻まれ、蓮台(れんだい/女神が座る台座)の下にも「とぐろを巻いた蛇」の姿が刻まれている。これらはどちらも「宇賀神」なので、正確にはこの像は「宇賀弁才天」と呼ばれる。宇賀弁才天は、願いを叶え人を豊かにすると同時に、水の恵みを司る強力な神だとされる。この地は広い扇状地の中央で、水の確保が大切な地域だったであろう。そういえば信玄の伝承も「水」の物語で、その寺に水の神が祀られていることは興味深い。

川中島合戦伝承地 境福寺 古い姿が残る弁才天
出典/撮影 委員
分  類
文化財(有形文化財、神像・仏像)
地  域
更北
年  代
1809年/江戸時代
資料撮影年次
2021年(令和3年)
〔ID 1725〕