有旅の「大陸天」碑
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篠ノ井の有旅集落のはずれにある(元の位置は口留番所跡付近だという)。文久3(1863)年に疫病がはやったとき、村に感染が広がらないよう願って建立したもの。地元では「ここが大陸の一番上(だから、この先に人はいない)」という意味で、石碑より上にある村を守ろうとしたと伝えられている。かつて長野市が市内の石造物を調査したときも、「大陸天」という文字碑の例が市内にないことから、「大六天」碑かと推測しつつも判断を保留していた(『長野市の石造文化財』)。しかし、少し視野を広げると手がかりが見つかる。まず、わが国には2種類の漢数字(大字/小字)があり、「陸」の字は「六」の大字である。大字は偽造等を防ぐ目的で、金額などを書くときに現在でも使用されており、この碑も「ダイロクテン」と読むのが自然である。「ダイロクテン」は「第六天魔王」という魔王を意味する石碑で、全国では「第六天」「大六天」「大陸天」などの書き方が確認されている。石碑ではなく神社(第六天神社)もあるが、不思議なことに西日本には全くないという。武蔵国(埼玉県付近)から伊豆国(静岡県東部)を中心とした関東地方・中部地方に分布し、長野県では伊那・諏訪地方で見られる。仏教の修行を妨げる魔王がどうして祀(まつ)られるのかは、まだ解明されておらず、特殊な分布とともに謎が多い石碑である。ただし、有旅の例の場合、村はずれに置かれたことから、言い伝え通り、力の強いカミ(魔王)に村への侵入者を防いでもらう願い(道祖神・サイノカミと同様)があったのかもしれない。 ※.大字の漢数字の例:壹・貮・参・肆・伍・陸・漆・捌・玖・拾(1~10まで)。
篠ノ井の有旅集落のはずれにある(元の位置は口留番所跡付近だという)。文久3(1863)年に疫病がはやったとき、村に感染が広がらないよう願って建立したもの。地元では「ここが大陸の一番上(だから、この先に人はいない)」という意味で、石碑より上にある村を守ろうとしたと伝えられている。かつて長野市が市内の石造物を調査したときも、「大陸天」という文字碑の例が市内にないことから、「大六天」碑かと推測しつつも判断を保留していた(『長野市の石造文化財』)。しかし、少し視野を広げると手がかりが見つかる。まず、わが国には2種類の漢数字(大字/小字)があり、「陸」の字は「六」の大字である。大字は偽造等を防ぐ目的で、金額などを書くときに現在でも使用されており、この碑も「ダイロクテン」と読むのが自然である。「ダイロクテン」は「第六天魔王」という魔王を意味する石碑で、全国では「第六天」「大六天」「大陸天」などの書き方が確認されている。石碑ではなく神社(第六天神社)もあるが、不思議なことに西日本には全くないという。武蔵国(埼玉県付近)から伊豆国(静岡県東部)を中心とした関東地方・中部地方に分布し、長野県では伊那・諏訪地方で見られる。仏教の修行を妨げる魔王がどうして祀(まつ)られるのかは、まだ解明されておらず、特殊な分布とともに謎が多い石碑である。ただし、有旅の例の場合、村はずれに置かれたことから、言い伝え通り、力の強いカミ(魔王)に村への侵入者を防いでもらう願い(道祖神・サイノカミと同様)があったのかもしれない。 ※.大字の漢数字の例:壹・貮・参・肆・伍・陸・漆・捌・玖・拾(1~10まで)。

- 分 類
- 文化財(史跡、石碑)
- 地 域
- 篠ノ井
- 年 代
- 1863年/江戸時代
- 資料撮影年次
- 2024年(令和6年)















