善光寺 佐藤兄弟の供養塔

源義経(みなもとのよしつね)が平家追討のために出陣するとき、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の命令で義経の軍勢に加わった佐藤継信・忠信の供養塔だと言い伝えられている。二人は非常にすぐれた武士で、義経を支えて戦ったが、ともに戦死した。この供養塔は兄弟の母が建てたものだと伝わる。ただし、塔に刻まれた文字と言い伝えの関係には解釈に苦しむ点もある。塔は宝篋院塔(ほうきょういんとう)で供養に用いるものだが、西側の塔に1397(応永4)年(室町時代)の紀年銘(きねんめい)が読み取れる。法名も二十名以上刻まれていて、母が子供の供養をしたという物語とは時期や動機ががあわない。さらに「逆修(ぎゃくしゅ)」の文字も刻まれている。「逆修」は本人が生きているうちに行うか、年長者が若い者を供養することなので、生前の逆修なら言い伝えとは合わない。しかし、この地域で一番古い逆修の塔としては歴史的な価値が高い(長野市指定文化財)。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

善光寺 佐藤兄弟の供養塔
出典/撮影 善光寺の許可を得て委員が撮影
分  類
文化財(有形文化財、供養塔・墓塔)
地  域
善光寺周辺(善光寺)
年  代
室町時代
資料撮影年次
2025年(令和7年)
〔ID 1823〕