善光寺 本堂内部 妻戸台(つまどだい)
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解説を読む
鎌倉時代に時宗という宗派をひらいた一遍(いっぺん)上人は、善光寺で極楽浄土(ごくらくじょうど)に行くための教えである「二河白道(にがびゃくどう)」という喩え(たとえ)を感得(かんとく/深くわかること)したと言われる。2代目の他阿(たあ/正しくは「他阿弥陀仏」)上人は本堂の前庭に舞台(ぶたい)を設けて「踊り念仏(おどりねんぶつ)」を奉納(ほうのう)した。このように、善光寺は時宗にとって大切な寺で、室町時代までは多くの時宗の僧侶(そうりょ)が善光寺周辺で修業していた。なかでも、善光寺に住んで修行した時宗の僧は「妻戸衆」と呼ばれていた。現在残る妻戸台(つまどだい)は他阿上人が「踊り念仏」を奉納したときのなごりだという。並んでいる太鼓は、お堂を開けるときや、日々の法要(ほうよう)で鳴らされている。毎年1月6日に行われる「びんずる廻し」では、びんずる尊者像を台に乗せて妻戸台のまわりを一周する。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】
鎌倉時代に時宗という宗派をひらいた一遍(いっぺん)上人は、善光寺で極楽浄土(ごくらくじょうど)に行くための教えである「二河白道(にがびゃくどう)」という喩え(たとえ)を感得(かんとく/深くわかること)したと言われる。2代目の他阿(たあ/正しくは「他阿弥陀仏」)上人は本堂の前庭に舞台(ぶたい)を設けて「踊り念仏(おどりねんぶつ)」を奉納(ほうのう)した。このように、善光寺は時宗にとって大切な寺で、室町時代までは多くの時宗の僧侶(そうりょ)が善光寺周辺で修業していた。なかでも、善光寺に住んで修行した時宗の僧は「妻戸衆」と呼ばれていた。現在残る妻戸台(つまどだい)は他阿上人が「踊り念仏」を奉納したときのなごりだという。並んでいる太鼓は、お堂を開けるときや、日々の法要(ほうよう)で鳴らされている。毎年1月6日に行われる「びんずる廻し」では、びんずる尊者像を台に乗せて妻戸台のまわりを一周する。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

- 分 類
- 文化財(有形文化財、構造物)
- 地 域
- 善光寺周辺(善光寺)
- 年 代
- 資料撮影年次
- 2025年(令和7年)















