善光寺 本堂 正面向拝(こうはい)の柱
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解説を読む
本堂正面の向拝(こうはい/ごはい)の柱は、ねじれて礎石とズレている。よく見ると4本の柱が一本おきに逆向きにねじれている。善光寺地震によってズレたという言い伝えもあるが、近年は工事が原因だという見方がある。善光寺は、1615(元和元)年の落雷で焼失していた本堂を再建するため、1692(元禄5)年から計画を始め、1698年には新しい敷地の整地が始まった。しかし、1700(元禄13)年7月、門前町の火災が燃え広がって、造営中の本堂が焼け落ち、集めてあった良材も大部分が焼失してしまった。再建は翌1701(元禄14)年から再起動し、江戸幕府や松代藩も関わって進んたが、資金と材木をもう一度集めることは困難だった。それでも設計や用地の整備、用材の確保などを進め、1705(宝永2)年4月には江戸から設計を担当した幕府御用大工棟梁の甲良宗賀(こうら むねよし)も来て、「如来堂御事始め(にょらいどう おん ことはじめ)」の儀式がおこなわれた(工事の棟梁は宗賀の弟子の木村万兵衛)。工事は急ピッチですすみ、1707(宝永4)年7月には落成した(現在の本堂)。しかし、この再建には、十分乾燥していない(普通は使わない)木材が使われた。よく乾燥していない木材は後で狂う(ねじれたり曲がったりすること)ので、大工たちは狂い方を予測し、1本ずつ逆にねじれるように材木を選んだのだろうという。不利な条件でも大地震に耐えられる本堂を残した300年前の大工たちの技である。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】
本堂正面の向拝(こうはい/ごはい)の柱は、ねじれて礎石とズレている。よく見ると4本の柱が一本おきに逆向きにねじれている。善光寺地震によってズレたという言い伝えもあるが、近年は工事が原因だという見方がある。善光寺は、1615(元和元)年の落雷で焼失していた本堂を再建するため、1692(元禄5)年から計画を始め、1698年には新しい敷地の整地が始まった。しかし、1700(元禄13)年7月、門前町の火災が燃え広がって、造営中の本堂が焼け落ち、集めてあった良材も大部分が焼失してしまった。再建は翌1701(元禄14)年から再起動し、江戸幕府や松代藩も関わって進んたが、資金と材木をもう一度集めることは困難だった。それでも設計や用地の整備、用材の確保などを進め、1705(宝永2)年4月には江戸から設計を担当した幕府御用大工棟梁の甲良宗賀(こうら むねよし)も来て、「如来堂御事始め(にょらいどう おん ことはじめ)」の儀式がおこなわれた(工事の棟梁は宗賀の弟子の木村万兵衛)。工事は急ピッチですすみ、1707(宝永4)年7月には落成した(現在の本堂)。しかし、この再建には、十分乾燥していない(普通は使わない)木材が使われた。よく乾燥していない木材は後で狂う(ねじれたり曲がったりすること)ので、大工たちは狂い方を予測し、1本ずつ逆にねじれるように材木を選んだのだろうという。不利な条件でも大地震に耐えられる本堂を残した300年前の大工たちの技である。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

- 分 類
- 文化財(有形文化財、建築物)
- 地 域
- 善光寺周辺(善光寺)
- 年 代
- 1707年/江戸時代
- 資料撮影年次
- 2025年(令和7年)















