南部支会理事でお世話になっております篠ノ井東小学校の桐生彰です。
先日、卒業をしてから2回目となる母校を訪れました。昇降口を背にして、校庭を見渡すと、たちどころに45年前のあの小学生時代へとタイムリープしていく感覚になりました。「校庭はだいぶ狭くなったけれど、たしか道路の半分まで校庭が広がっていたな。」とか「校庭の隅にドッジボールの線を描いて、休み時間になるとよく遊んでいたな。」と、目の前の風景と脳裏に蘇る過去の風景とが重なりあって見えてきます。長い間、記憶の彼方にあった共に過ごした友達の顔や声質まで聞こえてくるようで、足元からじわっとノスタルジーのゆらぎに包まれそうな感覚。
そういえばあの頃の給食が好きでした。特にカレーの次ぐらいの頻度で出される焼きそば。パンにはさんで焼きそばパンにしてかぶりつくのが通例でした。あとパイナップルが入っている酢豚は嗜好に合いましたが、きゅうりとワカメに缶詰のミカンが入っている酢の物はなかなかの強敵でした。
運動会では大玉送りが好きでした。大玉といっても今のビニール製ではなく、竹を編んで球状にしたものに布が貼られ、傷むごとに重ね貼りされていくので、重量は相当なもの。それがインディーショーンズばりに、尋常ではない回転数で迫り来て、頭の上を通過していきます。ぼやっとしていると、頭ごともってかれます。先生たちが皆「頭を下げろ~」と叫ぶ中で味わうスリルがたまりませんでした。
学校の映画鑑賞教室が好きでした。たしか毎年学校を巡回する道徳の教育映画だったように思います。カシャカシャと刻む映写機の音、画像のノイズ、暗幕で閉じた窓の隙間から差し込む光と合間って、あの静寂に流れる午後の時間と空間は心地よくて好きでした。
あの図書館が好きでした。給食を食べ終わると、毎日一目散に図書館に飛び込んでいきました。お気に入りの少年探偵団シリーズを手に床に腰を下ろして読みふけり、時おり見上げると、そこは本のプラネタリウムでした。ある時、担任の先生が呼びかけたのか、クラスの友達が一斉に押し寄せてきて、一人だけのとっておきの空間ではなくなりましたが。
学校から帰る道が好きでした。学校の北門から権堂までの道には、場所柄かよく小銭が落ちていました。友達とそれを我先に拾って手に握りしめ、権堂の交番のお巡りさんに得意げに差し出しました。10円玉の見返りに、「ありがとう」の笑顔の返礼を受けとると、満足してアーケードの真ん中を闊歩して帰りました。
あの時の担任の先生が好きでした。「今日は国語の授業をやめて、ドッジボールをやるぞ」。うれしい!?授業の変更がよくありました。国語の「たぬきの糸車」を先生が朗読した際に、銃を撃つ真似をした拍子に先生が椅子から転げ落ち、シリモチをついた先生とみんなで大笑いしました。「あんな先生みたいに・・・」。志を決めゆく端緒となりました。
校舎の裏側から見えた丸光デパートの展望レストランを見上げて羨んだこと、泳力の差で帽子の色が変わり、50mの証の白帽子になったとたんに水泳の授業が終わってしまったこと、世話をしていた中庭のウサギが野犬によって一夜にして姿を消したこと、先生の目を盗んで放課後体育館で遊んでいたこと。もし、もう一度子ども時代を過ごすなら、この学校に迷いなく通いたいと思います。
6年生があと数か月で卒業をしていきます。いつかまたこの母校を訪れた際に、ここに居た時間を慈しんでもらえるのか。そうであったらいいなと感じています。


