1742(寛保2)年8月に信濃国(現在の長野県)で発生した大きな水害(洪水)・土砂災害のこと。この年は干支(えと)が「壬戌(みずのえいぬ)」だったため、「戌の満水」と呼ばれた。本州の太平洋側を西から東に移動するコースで台風が通った(令和元年東日本台風と似ている)と推定され、長野県では南向きの斜面が多い浅間山や飯縄山などでたくさんの雨が降り、千曲川に雨水が集中した。この結果、小諸では大きな土石流で城下町が壊滅した。これが流れ込んだ千曲川は、水量が多いだけでなく土砂を含んだ危険な流れとなって流れ下り、長野盆地を飲み尽くす大洪水が起きた。水が流れ出る谷間が狭い長野盆地では、全ての水が長野市長沼から豊野に集中するため、記録が残る中では最も水位が高い洪水となった。