森将軍塚古墳 北側山麓の「屋代田んぼ」から見上げた墳丘
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森将軍塚古墳の北側山麓に広がる水田地帯は、地元で「屋代たんぼ」と呼ばれていて、古墳に眠る王のクニが広がっていたと考えられている。そこから古墳を見上げると、葺石(ふきいし)によって樹木が生えない墳丘がはっきり見える。撮影時は積雪のため山の中腹の真っ白い部分が墳丘(後円部)。「屋代たんぼ」を取り囲む山々の尾根には、有明山将軍塚古墳(全長37m)、倉科将軍塚古墳(全長83m)、土口将軍塚古墳(全長67m/長野市・千曲市の境界)もあり、これらは連続的に築かれた前方後円墳と考えられ、2007年に森将軍塚に追加する形で「埴科古墳群」として国の史跡に指定された。これまでの研究では、千曲川対岸の川柳将軍塚も加えて4世紀半ばから5世紀前半までで〈森将軍塚→川柳将軍塚→倉科将軍塚→土口将軍塚〉と継続的に大規模な前方後円墳が築かれたと考えられている(有明山将軍塚古墳の築造時期は二つの説があって未確定)。
森将軍塚古墳の北側山麓に広がる水田地帯は、地元で「屋代たんぼ」と呼ばれていて、古墳に眠る王のクニが広がっていたと考えられている。そこから古墳を見上げると、葺石(ふきいし)によって樹木が生えない墳丘がはっきり見える。撮影時は積雪のため山の中腹の真っ白い部分が墳丘(後円部)。「屋代たんぼ」を取り囲む山々の尾根には、有明山将軍塚古墳(全長37m)、倉科将軍塚古墳(全長83m)、土口将軍塚古墳(全長67m/長野市・千曲市の境界)もあり、これらは連続的に築かれた前方後円墳と考えられ、2007年に森将軍塚に追加する形で「埴科古墳群」として国の史跡に指定された。これまでの研究では、千曲川対岸の川柳将軍塚も加えて4世紀半ばから5世紀前半までで〈森将軍塚→川柳将軍塚→倉科将軍塚→土口将軍塚〉と継続的に大規模な前方後円墳が築かれたと考えられている(有明山将軍塚古墳の築造時期は二つの説があって未確定)。

- 分 類
- 文化財(史跡、古墳)
- 地 域
- その他(北信)
- 年 代
- 古墳時代
- 資料撮影年次
- 2024年(令和6年)










