川中島合戦伝承地 今でも物語が生み出されていく八幡原の土塁

八幡原には土を固めた「土塁(どるい/土でつくった堤防のような壁)」または「柵(さく)の土台」のような地形がいくつか残っている。近年は、これが武田側の陣地の遺跡だと書いているウェブサイトなどもあるが、慎重に検討すべきである。たしかに全国では、戦国時代の「陣地の遺跡」から似たような土塁が見つかった例(関ヶ原、賤ヶ岳など)もある。しかし、長野県北部には寺社の境内(けいだい)を囲んで作られた土塁も多い。八幡原のものは大小二種あるように見え、小さい方(この写真)が現在の本殿(ID-1718の写真)によって壊されている。しかし、この土塁は旧社殿だとされる「鞘堂(さやどう)」を囲むように残っているので、神社を囲む土塁であった可能性が高い。一方、より外側にある大きな土塁は断片的なもので、はたして土塁だったのかどうかも断定はできない。一部は「首塚」(川中島合戦の慰霊の塚)などになっていて、元の状態を復元するのは難しい。このような地形も歴史を探る手がかりになるので、大切に保存しつつ、調査・研究のときはしっかり事実を確かめる力(情報リテラシー)も必要である。

川中島合戦伝承地 今でも物語が生み出されていく八幡原の土塁
出典/撮影 委員
分  類
文化財(史跡、旧宅・古跡)
地  域
更北
年  代
戦国時代
資料撮影年次
2024年(令和6年)
〔ID 1719〕