善光寺 濡れ仏 (延命地蔵)
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解説を読む
光寺聖の法誉円信が全国から喜捨(きしゃ)を集め、1722(享保7)年に造立した延命地蔵尊。江戸の大半を焼いた明暦(めいれき)の大火(1657年)を出したといわれる八百屋お七(やおやおしち)の霊を慰(なぐさ)めたものという伝承が伝えられている。隣にある六地蔵は太平洋戦争中に供出(きょうしゅつ)したが、この像は供出を免(まぬが)れた。長野県内の野外にあった金属の仏像で供出を免れたのはこの一体だけだという。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】
光寺聖の法誉円信が全国から喜捨(きしゃ)を集め、1722(享保7)年に造立した延命地蔵尊。江戸の大半を焼いた明暦(めいれき)の大火(1657年)を出したといわれる八百屋お七(やおやおしち)の霊を慰(なぐさ)めたものという伝承が伝えられている。隣にある六地蔵は太平洋戦争中に供出(きょうしゅつ)したが、この像は供出を免(まぬが)れた。長野県内の野外にあった金属の仏像で供出を免れたのはこの一体だけだという。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

出典/撮影 善光寺の許可を得て委員が撮影
- 分 類
- 文化財(有形文化財、神像・仏像)
- 地 域
- 善光寺周辺(善光寺)
- 年 代
- 1722年/江戸時代
- 資料撮影年次
- 2025年(令和7年)
〔ID 1833〕















