善光寺 駒返橋と参道
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写真右手前に見える短い橋が「駒返橋(こまがえりばし)」といわれ、源頼朝(みなもとの よりとも)が善光寺に参拝(さんぱい)したとき、乗っていた馬が蹄(ひづめ)を穴に挟んでしまったため、ここで馬を帰したという言い伝えがある。源頼朝が善光寺の再建に力を尽くし、善光寺を訪れたのは事実とみられるが、その頃の本堂はここより90mくらい仁王門に近いところなので、もし馬を帰したのが事実だとしても、そのときの場所はここではない。ただし、大切なのはそのことではなく、「場の意味」である。この橋に立って本堂(山門)側と仁王門側を見比べればはっきりわかるが、仁王門側には商店が建ち並ぶ「生活や楽しみの場(世俗の空間)」が広がるのに対し、本堂(山門)側は「祈りと信仰の場(聖なる空間)」になっている。こういう聖俗(せいぞく)を区別する場を「結界(けっかい)」と呼び、神社なら「しめ縄」などがそれを示す。門と違って目立たないが、この橋がつくる結界は善光寺参りの参拝客の心を切り替えていく大切な役を果たしている。頼朝の伝説も、「善光寺の恩人でその時代の権力者であっても乗り物を下りて入る場所だ」ということを伝えるものであろう。なお、頼朝が「帰った」とする伝説もあるが、「馬返(うまがえし)」は富士山や日光山などの信仰の山にもある地名で、その先は徒歩で進むという場所である。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】
写真右手前に見える短い橋が「駒返橋(こまがえりばし)」といわれ、源頼朝(みなもとの よりとも)が善光寺に参拝(さんぱい)したとき、乗っていた馬が蹄(ひづめ)を穴に挟んでしまったため、ここで馬を帰したという言い伝えがある。源頼朝が善光寺の再建に力を尽くし、善光寺を訪れたのは事実とみられるが、その頃の本堂はここより90mくらい仁王門に近いところなので、もし馬を帰したのが事実だとしても、そのときの場所はここではない。ただし、大切なのはそのことではなく、「場の意味」である。この橋に立って本堂(山門)側と仁王門側を見比べればはっきりわかるが、仁王門側には商店が建ち並ぶ「生活や楽しみの場(世俗の空間)」が広がるのに対し、本堂(山門)側は「祈りと信仰の場(聖なる空間)」になっている。こういう聖俗(せいぞく)を区別する場を「結界(けっかい)」と呼び、神社なら「しめ縄」などがそれを示す。門と違って目立たないが、この橋がつくる結界は善光寺参りの参拝客の心を切り替えていく大切な役を果たしている。頼朝の伝説も、「善光寺の恩人でその時代の権力者であっても乗り物を下りて入る場所だ」ということを伝えるものであろう。なお、頼朝が「帰った」とする伝説もあるが、「馬返(うまがえし)」は富士山や日光山などの信仰の山にもある地名で、その先は徒歩で進むという場所である。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

- 分 類
- 民俗・文化(信仰、その他)
- 地 域
- 善光寺周辺(善光寺)
- 年 代
- 資料撮影年次
- 2025年(令和7年)















