善光寺 鐘楼(しょうろう)
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出典/撮影 善光寺の許可を得て委員が撮影
- 分 類
- 文化財(有形文化財、建築物)
- 地 域
- 善光寺周辺(善光寺)
- 年 代
- 1853年/江戸時代
- 資料撮影年次
- 2025年(令和7年)
〔ID 1871〕
1847(弘化4)年3月24日に、長野盆地西縁断層帯(ながのぼんちせいえんだんそうたい)を震源(しんげん)として起きた直下型(ちょっかがた)地震。正確な震度(しんど)はわからないが、松代藩(まつしろはん)の家老(かろう)は、「発災直後に松代城に向かうため着替えようとしたが何度も転んだ」と記録している(「むしくら日記」)。あちこちで土砂崩れが起き、なかでも長野市信更(しんこう)で起きた山体崩壊(さんたいほうかい)は犀川をせき止めたので、しばらくして大規模(だいきぼ)な土石流(どせきりゅう)と洪水(こうずい)も発生した。いまでも、その災害のあとをあちこちで観察することができる。
1998年に長野市を開催都市(かいさいとし)にして長野県北部で開かれた冬季(とうき)オリンピックは、日本では2度目の冬季オリンピックだった。冬季オリンピックは、競技種目のために、寒くて雪がたくさん降る場所が適しているので、開催地に立候補したとき、冬季競技が盛んなヨーロッパなどから「そんなに南でできるのか」と心配された。長野県は、わが国の3,000m 級の山々があつまる「日本の屋根」と呼ばれ、近くの日本海から生じる水蒸気がたくさんの雪を降らせるので、会場に立候補できた。しかし、本番を迎えると、直前まで雪が少なく、大勢の人たちが工夫しながら協力して、無事開催することができた。いまでも、史上最も南で開かれた冬季オリンピック(まだ南半球で開かれた冬季オリンピックはない)である。長野オリンピックのテーマは、「情熱、感動、そして未来へ」で、何かあったときにボランティアが活躍するという新しい文化が育つきっかけにもなった。
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