犀陵中学校の田中耕史です。犀陵中学校に赴任して2年目になります。前任は松本市の信州まつもと空港やアルウィン近くにある中学校です。なぜ前任校の紹介をしたのかというと「空港」というつながりがあったからです。
長野県にある空港は?と聞かれて真っ先に思い浮かべるのが、松本市にある信州まつもと空港です。というより、一般にいう「空港」は県内では信州まつもと空港が唯一となり、長野市はオリンピックを開催した県庁所在地でありながら、空港がありません。
犀陵中学校は平成3年に開校し、長野市内では新しい中学校のひとつです。長野市の中心に近い本校の用地は実は飛行場跡だったのです。
その歴史をひもといてみると・・・
昭和8年 長野市が都市計画事業として公共飛行場の設置を計画。
昭和14年 長野市営の愛国長野飛行場として開場。滑走路は625m×30m小型飛行機により東京・大阪などに定期便運航、利用者は少なかった。
昭和16年 日本陸軍に接収されて軍用飛行場となり、練習機が配備される。
昭和20年8月13日 長野空襲により長野飛行場及び周辺民家も被災する。
昭和28年 運輸省より場外離着陸場長野飛行場とされ、民間飛行場として開場する。当初はセスナ機が飛んでいた。報道機関や長野県警察のヘリポートとして利用される。
平成2年6月 閉鎖。飛行場の跡地には市営住宅や長野市立犀陵中学校などが建築された。
本校では1年生が総合的な学習の時間に「わが町犀陵」と題して地域学習を進めていますが、題材のひとつとして「空港学習」があります。飛行場の歴史、戦争当時のこと、現在の様子など実際に地域を歩いたり、地域の方にお話を伺ったりして学んでいます。また、本校には当時使われていた飛行機「赤とんぼ」のプロペラが残されており、生徒が実際に見たり触ったりすることができます。
昨年度は信州大学工学部寺内研究室の皆さんと一緒に学習し、写真のような空港があったことを示すオブジェを、本校を含め数か所地域に造っていただき、空港がここにあったことを残していただきました。3月には芹田住民自治協議会がウォーキングイベントを開いてくださり、多くの地域の方が参加しました。
空港があったことを知らない子どもたちがたくさんいます。そのことを伝えてくれる方も減ってきています。学んだ子どもたちが地域に関心をもち、この先につないでいってほしいと願っています。(なお昨年度、犀陵中学校から、教材データベースに『長野飛行場』に関する写真を提供していただきました。キーワード『長野飛行場』で検索していただくと見ることができます。)