「山本由伸投手の姿を見て」
歴史に残る名勝負が繰り広げられた2025ポストシーズン、ワールドシリーズMVPに選ばれた山本由伸投手がメジャー30球団中最高打率を誇るブルージェイズの強打者に立ち向かう勇姿は、憧れのK投手と重なり、自分が野球少年としてプロを目指していた頃の記憶がよみがえってきました。若い先生方にはわからない話が多くて申し訳ありません。
「私の人生に大きな影響を与えてくれた4人~父と母と2人の名選手~」
長い間競技に取り組み、勝つことへの執念が半端でなかった父と「どちらの仕事も好きだから」と昼は看護師、夜は焼肉屋の女将の二刀流?で休む間なく働く母。2人の影響を受けた私は、小2の時に「自分は大好きな野球でピッチャーをしてみんなに勝つ!」と決め、暗くなるまで駐車場のブロック塀に向かってボールを投げ続ける毎日(※一月で軟式野球ボールの溝が削られ、ソフトテニスのボールのようになりました)。小4で地域の少年団に入ると、小5からいろいろな大会でマウンドに立たせてもらいました。(※小5の時はかなり好成績。その後は低下の一途でした。)
そんな小5の夏休みに運命の出会いが。いつも通りのブロック塀相手の練習から戻り、テレビをつけると、パワフルな打撃で史上初の甲子園3連覇を目指す徳島「池田高校」が「0-5」とリードを許していました。「えっ!」でした。しかし、マウンドに立つ細身の相手投手が投げ込むボールを見ると、理解できました。キャッチャーミットを突き上げるような勢いとキレ、他の投手とは明らかに違いました。「すごい!!」と私が一目見てから憧れ続けることになった選手、それはPL学園1年生「桑田真澄 投手」でした。その大会で1年生初の甲子園優勝投手になると、3年間甲子園に出場し続け、ジャイアンツ入団。2年目でエースに成長していきました。もちろん私の夢も「ドラフト1位で巨人入団」に決まりました。「そのためには自分に厳しく・・・。」と、自分を改め、野球はもちろん、手を抜いていた清掃、苦手だったマラソンなどにも少しずつ真面目に取り組むようになっていきました。桑田投手は私の恩人です。
確か同じ小5の時だったと思います。「日本一の学校桜」で有名な下伊那の母校で開催された中日ドラゴンズ選手による野球教室でまた幸運な出会いに恵まれました。自分の投球を見た一人の選手が「お前、いいな。頑張れよ。」と声をかけ、私にだけ特別にグローブにサインをしてくれました。その選手は、対ジャイアンツ通算35勝、引退後は監督としてドラゴンズ、タイガース、イーグルスを日本一に導いた星野仙一投手でした。(※実はその時は星野選手だと気づかなかったのです。マウンド上で見せていた厳しい表情とは全く違う、優しい笑顔だったので。)星野選手からの言葉とサインで益々野球に情熱を傾けるようになり、何事にもかなり一生懸命取り組む好少年?になっていきました。
「1つだけ達成できたことは・・・」
悔しさはありましたが、中学3年間で自分のレベルを理解した私は、野球をあきらめ、高校からは違う競技の道へ進みました。「勝ちたい!」という思いは変わらなかったからです。けれど、やっぱり大した成績は残せず・・・。ただ1つ達成できたこと、それは、母のように「自信をもって『好き』と言える仕事に就く」という目標です。時代の変化で難しさを感じることも増えましたが、お世話になった全ての学校で「この仕事、好きだな」と感じさせもらいました。信里小も自然豊かで、素直な子どもたちと協力的な保護者や地域の方々と「この仕事が好き!」という思いが伝わってくる先生方ばかりの素敵な学校です。今さらですが、これまで関わった全ての方々に感謝です。
山本投手の話から本当にとりとめのない話になりました。申し訳ありません。(文責:信里小学校 教頭 髙橋 俊)
信里小学校西側に見える北アルプス

