リレーエッセイに何を書こうか悩んでいたとき、校長室に遊びに来た子が「今日はカレーだよ。」と嬉しそうに教えてくれた。その一言で、ふと学生時代の北海道ツーリングを思い出した。
あの夏、友人と二人、バイクにテントと寝袋を積み込んで北海道を巡った。
旅は質素だったが、そこで出会った食べ物はどれも鮮烈だった。稚内で味わったウニ丼、納沙布岬で食べた茹でたての花咲ガニ、知床の食堂で供されたトドの焼肉。どれも、その土地の空気とともに心に刻まれている。
北の大地をバイクで走ることはもちろん、知床半島の先端に自分の足で立つことも目的の一つだった。干潮のわずかな時間しか通れない難所もあるため、「熊の穴」のご主人からの許可がなければ出発すらできなかった。二日間待ち続け、三日目の早朝、ようやく歩き始めた。道なき道はすぐに険しくなった。岩壁を横歩きで越え、鎖やロープを頼りに垂直の壁をよじ登った。食べ物はソーセージ一本だけ。のどが渇けば、飲んではいけないと聞いていた川の水を、思わず口にした。気づけば十二時間以上歩き続け、日が暮れかけた頃、ようやく最後の難所を越えた。
そのとき、小さな番屋から漁師が姿を現した。「トドの死骸に熊の爪痕があった。危ないから泊まっていきなさい。」そう言って、私たちを温かく受け入れてくれた。番屋の外で小さなコンロに火をつけ、持ってきたレトルトカレーとご飯を温めた。湯気が上がるころ、頭上には満天の星が広がっていた。波の音だけが静かに響いていた。その星空の下で、友人と無言のまま一皿のカレーを分け合った。あの時の味は、今も忘れられない。
十年ほど前から、再びその友人と学生時代の仲間とともにツーリングに
出かけるようになった。九州で夕飯を囲んだある夜、彼がぽつりと言った。「知床で食べたカレーを超える味にまだ出会っていないなぁ。」その言葉に、私も静かにうなずいた。あれはただのレトルトカレーではなく、疲労、安堵、星空、潮の匂い――あの時のすべてが溶け込んだ、人生の一皿だった。
「今日はカレーだよ。」その一言が、遠い思い出の扉をそっと開けてくれた。給食のカレーも、いつか誰かにとって特別な味になるのだろう。そう思うと、今日のカレーの匂いが、いつもより少しあたたかく感じられた。 (古里小学校 松田幸一 執筆協力 喋突爺飛亭)
