今も残る「長野空襲」~小川村高府の火の見櫓 全景

小川村高府地区にある火の見櫓(ひのみやぐら)は、他と比べて独特の形をしている。これは、太平洋戦争中は長野飛行場の管制塔(かんせいとう)として使われていたことが原因で、普通の火の見櫓より上部が広い。長野飛行場は、1945(昭和20)年8月13日の長野空襲で、長野飛行場はアメリカ軍の戦闘機(せんとうき)の機銃掃射(きじゅうそうしゃ)をうけ、駐機(ちゅうき)してあった練習機(れんしゅうき)が数十機破壊(はかい)され、拡張(かくちょう)工事の関係者が3名死亡した。このとき、管制塔も機銃掃射をうけ、終戦後に小川村に移転して今日まで使われてきた。今でも鉄骨に弾痕(だんこん/銃弾のあと)が残る。

今も残る「長野空襲」~小川村高府の火の見櫓 全景
出典/撮影 委員
分  類
文化財(史跡、戦争遺跡)
地  域
小川村
年  代
1945年(昭和20年)/昭和前期
資料撮影年次
2024年(令和6年)
〔ID 1774〕