七瀬道標
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石碑の右の道路は長野菅平線。左は長野須坂インター線に合流する道路。建立当時、右は風間、大豆島、若穂方面から、左は上高田、南高田方面からそれぞれ町に出てくる道だった。両方の道が合流し、その先にできた商店街が七瀬通り。碑正面には「左 たかた 大豆島わたし ほしな」「慈悲の国に にくしと思ふこともなし つみある人を あわれまします」。裏面には「慶応二年七月」「当所 依田八郎兵衛建立」。現在、地元の七瀬地区では、東道祖神と呼ばれている。
石碑の右の道路は長野菅平線。左は長野須坂インター線に合流する道路。建立当時、右は風間、大豆島、若穂方面から、左は上高田、南高田方面からそれぞれ町に出てくる道だった。両方の道が合流し、その先にできた商店街が七瀬通り。碑正面には「左 たかた 大豆島わたし ほしな」「慈悲の国に にくしと思ふこともなし つみある人を あわれまします」。裏面には「慶応二年七月」「当所 依田八郎兵衛建立」。現在、地元の七瀬地区では、東道祖神と呼ばれている。

出典/撮影 委員
- 分 類
- 文化財(史跡、交通)
- 地 域
- 芹田(鶴賀)
- 年 代
- 1866年/江戸時代
- 資料撮影年次
- 2024年(令和6年)
◤七瀬南部信号機の南へ10m◢
〔ID 1815〕















