善光寺 千人塚(二斗八塚)

江戸時代はじめの頃の一揆(いっき)で殺された村人たちの供養(くよう)のための塔だと言われている。原因には2つの伝承(でんしょう)があり、ひとつは1602(慶長7)年に森忠政(もり ただまさ)のきびしい検地(けんち)に対して起きた「右近一揆(うこんいっき)」とするもの、もう一つは1623(元和9)年に起きた「二斗八騒動(にとはちそうどう)」とするものである。しかし、塔に刻まれた文字に「逆修(ぎゃくしゅ)」の語があり、文字が赤く着色されていることを考えると、供養された人々が生きているうちに行う逆修の供養塔の可能性が十分考えられる。 ※.逆修では、供養する人の名を赤い文字で記す。【この画像は二次利用(授業の目的以外で使うこと)が禁止されています。】

善光寺 千人塚(二斗八塚)
出典/撮影 善光寺の許可を得て委員が撮影
分  類
文化財(有形文化財、供養塔・墓塔)
地  域
善光寺周辺(善光寺)
年  代
江戸時代
「寛文元年」の元号が見えるので、寛文年間以降
資料撮影年次
2025年(令和7年)
〔ID 1825〕