山布施の砂防工事記念碑
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篠ノ井山布施地区の若林集落にある石碑で、山布施地区の砂防工が明治19(1886)年に竣工(しゅんこう/完成)したことを記念している。工事は明治17年から始まり、180ヶ所もの砂防工(さぼうこう)が行われたという。明治17年の工事については、長野県立歴史館が所蔵する「長野県行政文書(県宝)」にも記されており、同じ篠ノ井小松原で明治14年から始まった砂防工と並んで、長野県内で最も早い時期の砂防事業と言える。小川村にある「薬師沢」や「富吉沢」の石張水路工よりわずかに着工が早く、開始前に地元(今の小川村)の人々が山布施の工事を見学に訪れている。山布施と小松原の砂防工は、ひとつの山地の西側と東側の沢で行われたもので、原因となっているのは、どちらも「裾花凝灰岩(すそばなぎょうかいがん)」という長野市西側の山地のあちこちに見える崩れやすい白い岩である。
篠ノ井山布施地区の若林集落にある石碑で、山布施地区の砂防工が明治19(1886)年に竣工(しゅんこう/完成)したことを記念している。工事は明治17年から始まり、180ヶ所もの砂防工(さぼうこう)が行われたという。明治17年の工事については、長野県立歴史館が所蔵する「長野県行政文書(県宝)」にも記されており、同じ篠ノ井小松原で明治14年から始まった砂防工と並んで、長野県内で最も早い時期の砂防事業と言える。小川村にある「薬師沢」や「富吉沢」の石張水路工よりわずかに着工が早く、開始前に地元(今の小川村)の人々が山布施の工事を見学に訪れている。山布施と小松原の砂防工は、ひとつの山地の西側と東側の沢で行われたもので、原因となっているのは、どちらも「裾花凝灰岩(すそばなぎょうかいがん)」という長野市西側の山地のあちこちに見える崩れやすい白い岩である。

- 分 類
- 公共施設(治水・砂防、堤防・水路工)
- 地 域
- 篠ノ井
- 年 代
- 1886年(明治19年)/明治時代
- 資料撮影年次
- 2024年(令和6年)





