長沼 玅笑寺の洪水記録 善光寺地震後の土石流と明治時代の洪水の水位

妙笑寺(みょうしょうじ/ミョウの正しい字は「玄+少」玅)の庫裏(くり)の柱に残る洪水の水位記録のうち、弘化4(1847)年と明治29(1896)年の水位を示す部分。上段で二面にまたがって書き込んでいるのが明治29年の記録だが、この年は全国で激しい水害があったわりに原因が特定できず、全国の発災時期や規模の研究が行われている。この柱によれば、長沼が被災したのは7月24日であり、水位とともに貴重な記録である。一方、弘化4(1847)年には、3月24日(当時の暦で)に発生した善光寺地震により、犀川本流が完全に河道閉塞(かどうへいそく/崩れた土砂が谷をふさぐこと)し、現在の生坂村付近まで広がる「せき止め湖(天然のダム湖)」が生まれた。この湖をせき止めている「ダム」の部分が、溜まった水の重み(圧力)や、水が土にしみこんだり削ったりする働きによって崩れ、きわめて大規模な土石流(どせきりゅう)が発生した。現場に近い川中島はもちろん大きな被害を受けたが、現在の流路で測って「ダム」から25km以上離れた長沼周辺にも土石流は到達した。妙笑寺の柱の記録は、そのときどこまで浸水したか示す貴重な資料である(柱の左側の面)。「ダム」が完全に崩壊したのは4月13日とされる(松代藩の『むしくら日記』による)が、この柱には「四月十二日」とあり、ズレがあるように見える。何らかの誤りが生じた可能性もあるが、『むしくら日記』には「ダム」が2・3日前から少しずつ崩れ始めていたことを示す記述もあり、たくさんの記録をていねいに集め、比較しながら実像を研究する必要がある。

長沼 玅笑寺の洪水記録 善光寺地震後の土石流と明治時代の洪水の水位
出典/撮影 委員
分  類
文化財(有形文化財、歴史資料)
地  域
長沼(津野)
年  代
1847年/江戸時代
資料撮影年次
2024年(令和6年)
〔ID 1688〕